top of page

​#3 「旦那さんの夜ごはん、つくってから来たんですか?」

 夕方や夜にひとりで外出したり、人と話したりすると、会った相手からときおりこんなことを言われる。

「旦那さんの夜ごはん、つくってから来たんですか?」

 歯科医院や美容院でのちょっとしたおしゃべりで。空気感を探りあうアイスブレイクで。時には、私が男性と結婚しているかどうかさえ知らない相手からも、その奇妙な質問は投げかけられる。

「今日は旦那さん、よかったんですか?」というバリエーションも存在する。「旦那さん」と「よかったんですか?」のあいだには非常に広範な意味・ニュアンスが含まれていて、さきほどの食事問題をよりマイルドに尋ねている場合もあれば、妻が妻個人の用事でひとりで外出することを夫は「許可」したのか、という趣旨が込められている場合もある。

 私は面食らい、「アア」とか「ハア」とか、漠然とした言葉を返す。それで問題はない。会話はなめらかに、つぎの話題へ移っていく。

 

 人々は、ほんとうに、真剣に、私が夫の夕食を用意したのかどうかや「許可」の有無について知りたいわけではない。いい天気ですね。日が長く/短くなりましたね。週末○○に行ってきたんですよ。そういう「害のない気軽なおしゃべり」として、あるいは“夕食の支度で忙しい時間帯にすみません”という意味の「気遣い」として、家事分担の割合が女性に甚だしく偏る家父長制的社会のすがたを忠実に反映した結果、人々は前述のような質問を女性に向ける。昼食や朝食より夕食について言及されることが圧倒的に多いのは、<夜=家族で過ごす団らんの時間>のイメージの強さゆえだろうか。

 

 母のことを書こうと思う。

 私の実家と私の母の実家は同じ市内にある。地下鉄とバスを乗り継いで、一時間強で着く。

 かつて私が実家で暮らしていた頃、母方の祖父が亡くなった。残された祖母は、身のまわりのことはなんでも自分でできる人だったが、ひとり暮らしの寂しさを案じた母が毎週土曜日に祖母宅で一泊するのが習慣になった。祖母は喜び、母の来訪を毎週楽しみに待った。ふたりは仲の良い親子だった。

 土曜日の昼。母が祖母宅に行く支度を始める。支度とは、夕食づくりだ。祖母のところに持っていくものではない。自分が不在の土曜日の夜、家で過ごす家族に食べさせるための夕食である。

 母は夕食をつくり終えると、それをいくつかの保存容器に分けて冷蔵庫にしまう。そして私に説明をする。「冷蔵庫にカレーがあるから、あたためて食べて。下の棚にあるオレンジ色の蓋のタッパーはポテトサラダね。ごはんは7時に炊けるよ」といった具合に。

 私は、母が食事の段取りを私だけに託すのが心底いやだった。女である母が食事をつくり、女である私が引き継いで家族に提供するのが、ぞわぞわと気持ちが悪くてならなかった。どうして私だけに言うの、家にいる全員に言えばいいでしょうと返すと、母は「いいから、ちゃんと忘れずに食べさせてやって」と念を押すのだった。

 日曜日に帰ってきた母は、私に託した副菜が手つかずで残っていると、むなしさでいっぱいの顔で私を叱った。ねえ、これ、お皿に取り分けてみんなに食べさせてねって頼んだはずでしょう。

 

 当時の私は料理が大嫌いだった。女の子は料理をしましょう、女の子は家族の食事の世話をしましょうというプレッシャーを四方八方から浴び続けた結果、料理や台所まわりに対して拭いがたい恐怖と嫌悪をいだいていた。

 もし、家族の誰かが「ごはんは自分たちでつくるから、こっちのことは気にしないで、早くおばあちゃんのところに行ってあげて」と母に言っていたら、母と祖母が過ごす時間を増やせただろう。

 わかっていたのだ、そんなことは。

 私は、長年浴びた料理のプレッシャーによって学習していた。今この家の家族構成のうち、料理に関して母を気遣い、母に声をかけるべきなのは自分なのだろう。だって私は女だから。内面化した性役割は呪いと化し、私に向かってするどく命じる。「女なら料理を手伝え」と。

 でも絶対に、絶対に従いたくなかった。だから何も言わなかった。

 早く祖母のところに行きたいだろうに、黙々と手際よく夕食をつくる母の背中は、おそろしく、腹立たしく、そしてかなしく、見ていられない何かだった。

 私は実家を出てひとり暮らしをして、はじめて明るい心で料理に取り組むことができた。ひとり暮らしの空間では、私が料理をすることは誰のためでもなく、私の体と心のためだけにあったから、何も怖くなかった。狭い部屋に流れるラジオの音と包丁の音が親しく混ざりあうのも、自分のために箸置きを置いてやるのさえ嬉しかった。

 

 母のことを書くにあたり、母本人に連絡をして了承を得た。私の何について書くのと聞かれたので、おおまかに内容を伝えたところ、「そんなことあったっけ? あの頃はとにかく必死になって実家へ通っていたから、よく覚えていないんだよね」と笑っていた。

 以前母は、父を誉めていた。自分の妻が毎週実家に泊まりにいくのを「嫌がらずにいてくれた」から、彼は「優しい」のだそうだ。

 母はたいへんな料理上手だ。祖母も。私も料理がまあまあ好きになり、日々の食事に加えてケーキを焼いたりジャムを煮たりする。けれど今でも、実家の台所は怖くて立てそうにない。

 以前、就職活動中にどっさりもらった資料のなかに、女性向け在宅ワーク支援のパンフレットがあった。読んでみると、「自宅で仕事をしたい人は、たとえキッチンの一角であっても、仕事用の場所を確保しましょう」といった一文が目に飛び込んできた。

 女性に向けたパンフレットで、ワークスペースの一例として「キッチンの一角」を、おそらくは「気遣い」のつもりで挙げることに纏わりつく異様さを、私はまだうまく言葉にできない。パンフレットの提案どおり、工夫を凝らして「キッチンの一角」を自分の仕事場所にする女性はいるだろう。あるいは「キッチンの一角」を得るのも困難な女性も。「キッチンの一角」がポジティブな一歩になる女性も。必ず家族の食事の支度を済ませてから外出する女性も。個人の用事で外出することを家族に咎められる女性も。

 たしかにいる。

 みんなたしかにいるのだ。

 

『別冊 NHK 100分de名著 フェミニズム』(NHK出版、2023)にて、「二種類の自由」について語られている箇所がある。いわく、自由にはふたつの概念があり、ひとつは「freedom from」(消極的自由)、もうひとつは「freedom to」(積極的自由)というそうだ。

『飢餓や災害や暴力といった、そこにいたら死んでしまうような脅威から逃れる受動的、消極的な自由が「freedom from(~からの自由・解放)」で、それより高次の何かを実現するための主体的、積極的な自由が「freedom to(~への自由・実現)」というわけです。』(p.73)

『「消極的自由」と「積極的自由」という二種類の自由は、あらゆる事象に関わってきます。そして、前者の消極的自由、つまり「されたくないことをされない自由」は、自分の意思で選び取った自由とは言いがたいことが多いのです。』(p.74)

 

 

 現在の私は「料理がまあまあ好き」だが、100パーセント積極的自由によって選択されたものだと断言はできない。浴び続けた料理のプレッシャーは、完全には消えない。

 

「旦那さんの夜ごはん、つくってから来たんですか?」と聞かれるたび、そんなことを聞かれたくはないという怒りと苛立ちと、毎週末家族のために夕食をつくってから出かけていた母への思いが同時にこみ上げる。それで、「アア」とか「ハア」とか、あいまいな返事でへらへらと逃げている。

 

 女性が生きる場所は、この世に数かぎりなくあるはずだ。しかし社会は女性の居場所を家庭や台所のみに限定し、言葉が社会を反映し、性役割は強化され続ける。

 あの頃の母を手伝いたかった。でも自分が傷つくのもいやだった。当時の私が、今も胸の片隅で、きまり悪そうな顔で佇んでいる。〈了〉

bottom of page